2010年06月04日
市民講座
暗かったのでマックスEV値
あんがいいっぱい来てた
暇なのか
タイトルに惹かれたのか
まぁ
僕みたいな単細胞には理解できなくていい体な
話し方だった気もするし…
子供相手じゃあないんだから
わかる人
とか言って手を上げさせるのは
やっぱ
てめ~らにはわからないと思うけど
が
ト書きとして見え隠れするとも
取れなくもない
そもそも言葉の問題なので
スライドにも
文字めいっぱい
なのは仕方ないけど
それじゃあ
スライド読んでるだけで
話についてけない…
来られていた皆さんは
要領よく…
切り替えつつ…
着いて行ってた…よーには取れないなぁ
それと
ポインターがあった方がいいかとの問いがあり
邪魔くさいから嫌いだって言われたから
うろうろ歩きまわられるのが
なんか余計邪魔くさく感じられた…
僕みたいな単細胞とは
違う世界で
優雅に生きてきた人だからなのか
定義すべきとこは
と言われる
説明がインチキ
なんて言葉でかなり逃げが
やったら
多く気になったんだけど
定義すべきじゃないよーなことは
安直に決定してた気がする
たとえば
150年前は
漢詩と書道がうまくて…
みたいなたとえだったんだけど
それ聞いて僕は
直観的に
対象者は貴族か武士だけかよって…
家であれこれネタ考えるうちに
まぁ
寺子屋とかで漢詩も習うし
書道の風景もあるけど
基本識字率自体が高かったのか???
とか思うと
そのあたりは
と言われえました
でいいはずなのに
かなり断言的だった風に感じた
言語の数にしても
300~1200って
なんだよ???
学者によってって意味なのか
数え方の定義がそんだけいっぱいあるのか
そこいらは
もっときっちり出しとくべきなんじゃあないの?
少なくとも
講師として私は…くらいな感じで
300-500
もしくは1000-1200ぐらいじゃあなきゃ
僕の理解の範囲では
あれこれ考えさせられすぎて
なおさら話についてけなくなる
犬が訳しても同じ
なんて比喩も
間違いだし…
比喩なんだからいいんだよ
って思うなら
もっとほかも
きっちり定義していい気がする
まぁ
僕対象ではないのだから
わかる人だけ分かればいいんだろーけど
そもそも言葉自体は漠としたものだし
難しい言葉は
キミたちにはむずかしすぎるよねぇ~
って
済ましてきたんだろーと推測できるしね
最近…あ
彼が誰なのかに興味はないけど
おそらく大学教授というくくりで
ほかの教授とのやりとりもあって
うんざりモードなんだけど
専門家だから
ほかはどーでもいいんだよ
的なタイプが多いなぁ
それでよい教育を受けられるんだろーか
子供はうまく育っていくのか…
疑問しか出てこない
基本
僕は学校は
勉強の仕方を教えてくれればいいって
本を信じているので
知識をひけらかすだけの授業に興味はない…
まず
人として信用に足るかどーか
も
人柄も込みでなくっちゃあ
所詮
学問じたい
漠としたものでしかないよーに思うし…
もっちろん
それを言葉にして
文字にして
確立させるのが彼らのメシの種なんだから
あることないこと
ありったけの知識でそーするとは思うけど
それが信用できるかどーか…って
あんがい生徒は見るんじゃあ???
それとここんとこの
岩波
つながりなんだけど
翻訳本? の1/3が注釈になった
って話があって
翻訳だから注釈つけりゃあ大丈夫ってな感じで
話してた気がするけど
それってホントは編集者の怠慢なんじゃあ?
ホントに必要なものなのかどーか
が
彼的にはどーでもいいことで
わからない? 知らない? 定義しないまま
そんなに多い注釈なんだってばっか話してた
岩波だからいい加減なところで
てきとーに注釈つけといたんじゃあ??
って僕は思えたりもするけど…
いわゆる
今話題の行政法人のたぐいだったりする気もするし
立派な建物に
知識人、専門家として
あとはどーでも的な感じは
どこまでもどこまでも
浸透しつつある…風に見える
無駄をなくして
借金返していこうよ…
本当に必要なことがなんなのか
それぞれ真剣に考えなくっちゃあ
国民
みんなで思わなくっちゃあ
その先頭を行くのが
人に何かを教えよーとする人間らの仕事
なんじゃあないかとも思うんだけど…
あと
パワーポイントじゃなく
PDFファイルでスライドしてたんだけど
ンなことできるんだなぁ…
あんがいいっぱい来てた
暇なのか
タイトルに惹かれたのか
まぁ
僕みたいな単細胞には理解できなくていい体な
話し方だった気もするし…
子供相手じゃあないんだから
わかる人
とか言って手を上げさせるのは
やっぱ
てめ~らにはわからないと思うけど
が
ト書きとして見え隠れするとも
取れなくもない
そもそも言葉の問題なので
スライドにも
文字めいっぱい
なのは仕方ないけど
それじゃあ
スライド読んでるだけで
話についてけない…
来られていた皆さんは
要領よく…
切り替えつつ…
着いて行ってた…よーには取れないなぁ
それと
ポインターがあった方がいいかとの問いがあり
邪魔くさいから嫌いだって言われたから
うろうろ歩きまわられるのが
なんか余計邪魔くさく感じられた…
僕みたいな単細胞とは
違う世界で
優雅に生きてきた人だからなのか
定義すべきとこは
と言われる
説明がインチキ
なんて言葉でかなり逃げが
やったら
多く気になったんだけど
定義すべきじゃないよーなことは
安直に決定してた気がする
たとえば
150年前は
漢詩と書道がうまくて…
みたいなたとえだったんだけど
それ聞いて僕は
直観的に
対象者は貴族か武士だけかよって…
家であれこれネタ考えるうちに
まぁ
寺子屋とかで漢詩も習うし
書道の風景もあるけど
基本識字率自体が高かったのか???
とか思うと
そのあたりは
と言われえました
でいいはずなのに
かなり断言的だった風に感じた
言語の数にしても
300~1200って
なんだよ???
学者によってって意味なのか
数え方の定義がそんだけいっぱいあるのか
そこいらは
もっときっちり出しとくべきなんじゃあないの?
少なくとも
講師として私は…くらいな感じで
300-500
もしくは1000-1200ぐらいじゃあなきゃ
僕の理解の範囲では
あれこれ考えさせられすぎて
なおさら話についてけなくなる
犬が訳しても同じ
なんて比喩も
間違いだし…
比喩なんだからいいんだよ
って思うなら
もっとほかも
きっちり定義していい気がする
まぁ
僕対象ではないのだから
わかる人だけ分かればいいんだろーけど
そもそも言葉自体は漠としたものだし
難しい言葉は
キミたちにはむずかしすぎるよねぇ~
って
済ましてきたんだろーと推測できるしね
最近…あ
彼が誰なのかに興味はないけど
おそらく大学教授というくくりで
ほかの教授とのやりとりもあって
うんざりモードなんだけど
専門家だから
ほかはどーでもいいんだよ
的なタイプが多いなぁ
それでよい教育を受けられるんだろーか
子供はうまく育っていくのか…
疑問しか出てこない
基本
僕は学校は
勉強の仕方を教えてくれればいいって
本を信じているので
知識をひけらかすだけの授業に興味はない…
まず
人として信用に足るかどーか
も
人柄も込みでなくっちゃあ
所詮
学問じたい
漠としたものでしかないよーに思うし…
もっちろん
それを言葉にして
文字にして
確立させるのが彼らのメシの種なんだから
あることないこと
ありったけの知識でそーするとは思うけど
それが信用できるかどーか…って
あんがい生徒は見るんじゃあ???
それとここんとこの
岩波
つながりなんだけど
翻訳本? の1/3が注釈になった
って話があって
翻訳だから注釈つけりゃあ大丈夫ってな感じで
話してた気がするけど
それってホントは編集者の怠慢なんじゃあ?
ホントに必要なものなのかどーか
が
彼的にはどーでもいいことで
わからない? 知らない? 定義しないまま
そんなに多い注釈なんだってばっか話してた
岩波だからいい加減なところで
てきとーに注釈つけといたんじゃあ??
って僕は思えたりもするけど…
いわゆる
今話題の行政法人のたぐいだったりする気もするし
立派な建物に
知識人、専門家として
あとはどーでも的な感じは
どこまでもどこまでも
浸透しつつある…風に見える
無駄をなくして
借金返していこうよ…
本当に必要なことがなんなのか
それぞれ真剣に考えなくっちゃあ
国民
みんなで思わなくっちゃあ
その先頭を行くのが
人に何かを教えよーとする人間らの仕事
なんじゃあないかとも思うんだけど…
あと
パワーポイントじゃなく
PDFファイルでスライドしてたんだけど
ンなことできるんだなぁ…
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