2006年08月04日
戦争責任はどーやって取るのか
この時期だけ、毎年いろいろ…
いや、いつも同じような使い回しが多いかも…
戦争…太平洋戦争について語られることが多くなる
いまなら靖国参拝問題で盛り上がっている
学生のころ試合に向かうバスの中
のどかな山道を走る風景を見ていたら
黙祷しろと友人が言い出した
そのコは天理教の信者とのことだった
それを拒めるだけの論理を持たない
というより、そんなことを考えもしていない自分は
言われるまま、どんな意味があるのかもわからず
なんか、どーなんだろ?と思いつつ
目だけを閉じたことを覚えている
8/9の原爆投下の時間だった…らしい
それから長い時間が過ぎ、今は少しその頃よりは
いろいろ物を考え、情報も得ている
そんな中で
戦争責任を果たすということも
それでも無知なりに考えてみる
戦争の悲惨さを伝えることに意味はない
特に一部の悲惨な目に合った人たちは
悲惨さを伝えることに使命を感じている
と、伝わってくることが多い
が、悲惨さを伝えることに意味は無い
悲惨だったから、それでもお互いを思い、尊重しあって
そうならないこと、そうしないことを
伝えることに意味がある
なのに、結局そういう彼らが築いたこの今の社会が
結果が、これだということに反省はない
まるでそれは、自分とはまったく関係のないところで
誰かが勝手に作ったよーな口ぶりで、
悲惨さだけを単に語り継ぐ使命だけ口にする
ともすると、同情を求めているだけともとれるよーな…
それだけ、大変な思いをした彼らが作った社会は
お互いを思いあう、尊重しあう風景が日に日に
薄らいでいるようにしか映らない
そこに何の反省もなく、
単に悲惨さだけを伝えて、彼らは
何を望むのか、わからない
この先、経験をしてこない人たちが
それを語り継ぐのは不可能で、薄れていく記憶
そして、いつかまた繰り返すしか?…
渋谷で鶴を折らせる人らがいる
長崎とか広島とかの文字を大きく掲げ
折り紙を手渡す
が、自分たちが誰なのか、何のために折らせているのか
は、一切その張り紙にも、呼びかけにもない
周囲の反応も薄いし、そんな数の少ない
鶴を折るだけで何かが変わるとは考えにくい
彼らの暮らしはどんなところで保証されているか
最終目的は何か…
と、書いたところで
それなら自分は何ができるのか
どーするのか…だが
その鶴を折らせる団体へ、面と向かって問うわけでも
大きな力で何かを変えられるわけでもなく
小さな自分がどーやって責任を取るのか
前の世代が取らなかった責任は僕らの世代で
どんな風に膨らんで、どんな風に返せるのか
それともある程度は取れていて
あと、どのくらい残っているのか
まったく、見当もつかない
ただ、こーして言葉を並べているだけでは
通りすがる、何も考えなかった前の世代と同じ
と、いうことだけは、理解するけど
だから…じゃあなにをするのか
こーしている間に結局何もないまま
朽ちていく、前の世代と同じように
後ろの世代へと単に繋げる無意味な時間の中で
終わりを待つだけじゃ、嫌だけど…
いや、いつも同じような使い回しが多いかも…
戦争…太平洋戦争について語られることが多くなる
いまなら靖国参拝問題で盛り上がっている
学生のころ試合に向かうバスの中
のどかな山道を走る風景を見ていたら
黙祷しろと友人が言い出した
そのコは天理教の信者とのことだった
それを拒めるだけの論理を持たない
というより、そんなことを考えもしていない自分は
言われるまま、どんな意味があるのかもわからず
なんか、どーなんだろ?と思いつつ
目だけを閉じたことを覚えている
8/9の原爆投下の時間だった…らしい
それから長い時間が過ぎ、今は少しその頃よりは
いろいろ物を考え、情報も得ている
そんな中で
戦争責任を果たすということも
それでも無知なりに考えてみる
戦争の悲惨さを伝えることに意味はない
特に一部の悲惨な目に合った人たちは
悲惨さを伝えることに使命を感じている
と、伝わってくることが多い
が、悲惨さを伝えることに意味は無い
悲惨だったから、それでもお互いを思い、尊重しあって
そうならないこと、そうしないことを
伝えることに意味がある
なのに、結局そういう彼らが築いたこの今の社会が
結果が、これだということに反省はない
まるでそれは、自分とはまったく関係のないところで
誰かが勝手に作ったよーな口ぶりで、
悲惨さだけを単に語り継ぐ使命だけ口にする
ともすると、同情を求めているだけともとれるよーな…
それだけ、大変な思いをした彼らが作った社会は
お互いを思いあう、尊重しあう風景が日に日に
薄らいでいるようにしか映らない
そこに何の反省もなく、
単に悲惨さだけを伝えて、彼らは
何を望むのか、わからない
この先、経験をしてこない人たちが
それを語り継ぐのは不可能で、薄れていく記憶
そして、いつかまた繰り返すしか?…
渋谷で鶴を折らせる人らがいる
長崎とか広島とかの文字を大きく掲げ
折り紙を手渡す
が、自分たちが誰なのか、何のために折らせているのか
は、一切その張り紙にも、呼びかけにもない
周囲の反応も薄いし、そんな数の少ない
鶴を折るだけで何かが変わるとは考えにくい
彼らの暮らしはどんなところで保証されているか
最終目的は何か…
と、書いたところで
それなら自分は何ができるのか
どーするのか…だが
その鶴を折らせる団体へ、面と向かって問うわけでも
大きな力で何かを変えられるわけでもなく
小さな自分がどーやって責任を取るのか
前の世代が取らなかった責任は僕らの世代で
どんな風に膨らんで、どんな風に返せるのか
それともある程度は取れていて
あと、どのくらい残っているのか
まったく、見当もつかない
ただ、こーして言葉を並べているだけでは
通りすがる、何も考えなかった前の世代と同じ
と、いうことだけは、理解するけど
だから…じゃあなにをするのか
こーしている間に結局何もないまま
朽ちていく、前の世代と同じように
後ろの世代へと単に繋げる無意味な時間の中で
終わりを待つだけじゃ、嫌だけど…
2006年08月04日
こんどこそ無口なストローカー…
とはいえ
即興でできる問題ではないので
どれくらいおさえられるのか
苦しいゲームこそ黙って
黙々とストロークし続けられるか
を課題としましょ
土曜の試合はストロークで押し切る
日曜はストロークで耐え忍ぶ
試合が予想されます
押し切るというのは
浮かせない低めの強打ボールでポーチに出させず
じわじわ責めて
浮いてきたところを味方がポーチに出るもよし
前後に動かして、アングルもしくはストレートパスで
ポイントを取りたい
勝ちに行くための戦術のひとつと考えてください
耐え忍ぶのは
とにかく、味方も含め他の動きに動揺せず
ひたすらただただ相手と打ち合うことにのみ
集中して打ち続ける
この場合ポイントや勝敗は問題にしない
とにかく、状況如何に係わらず
耐えて耐えて…
逃げのコース変更も必要もありません
ってか、コース変更は絶対してはいけません
とにかく、相手が根負けするくらいに
打ち合うマインドトレーニングのひとつと考えてください
試合前はいろいろいいことも言ってるはずなんだけど
実践が伴わないのが難点です(T_T)
即興でできる問題ではないので
どれくらいおさえられるのか
苦しいゲームこそ黙って
黙々とストロークし続けられるか
を課題としましょ
土曜の試合はストロークで押し切る
日曜はストロークで耐え忍ぶ
試合が予想されます
押し切るというのは
浮かせない低めの強打ボールでポーチに出させず
じわじわ責めて
浮いてきたところを味方がポーチに出るもよし
前後に動かして、アングルもしくはストレートパスで
ポイントを取りたい
勝ちに行くための戦術のひとつと考えてください
耐え忍ぶのは
とにかく、味方も含め他の動きに動揺せず
ひたすらただただ相手と打ち合うことにのみ
集中して打ち続ける
この場合ポイントや勝敗は問題にしない
とにかく、状況如何に係わらず
耐えて耐えて…
逃げのコース変更も必要もありません
ってか、コース変更は絶対してはいけません
とにかく、相手が根負けするくらいに
打ち合うマインドトレーニングのひとつと考えてください
試合前はいろいろいいことも言ってるはずなんだけど
実践が伴わないのが難点です(T_T)