2008年08月10日
鶴を折りましょ…
オリンピックまっ盛り
世の中はまるでそんなこと
気にしてない人らの多そーな中…
もし
あなたが少しでも
何かを思っておられるのであれば
コメントに名前を
もちろん本名である必要もなく
いれてもらえらば
その名前で
僕は
鶴を折りましょ
なんのため?
それは
街頭で立たれていた女性のため
です
被爆者の方々のためではありません
なぜなら
被爆者のために鶴を折る
という行為についての結論を
僕が出しきれていないので
なんで
5㎝×5㎝でなきゃいけないのか
どーして白と赤を基本としている
わりに
便宜上色紙を使用するのか
どーして鶴を渡すのにちゃりで行く必要があるのか…
ありとあらゆる疑問を
彼女は解いてはくれなかった
解けないんだと
僕が勝手に判断させていただきました
それでも
何かのためになると思う
そー信じる彼女のために
僕ができることはそれくらいだと思うから
で
それを知らない人らに押し付けるつもりは
もっちろん毛頭あるわけではなく
もし、いらっしゃれば
ということだけで
ここで書いておくのは
もちっろん
ブログなので
僕個人の記録でしかありません
もっちろん
誰かに読んでいただいて
何かが伝われば幸いですが
拙い僕の文字では言葉では
なかなか伝わらないと伝えにくいと
理解もしつつ…
現状、うまくまとめられない
自分の気持ちだけでも
まとまってるのかと聞かれると
あんがい
そーでもない…
愛と伝える
という彼女の言葉
区分けを取っ払って60億人を愛でつなぐ
彼女の言葉には矛盾ばかりで
そこをついたら
それは自身でも理解してるらしく
逆ギレちっくに反論してきたので
そこは流した
自己矛盾の中で人は生きている
そーいう先輩もいて
その自己矛盾を肯定するのか
否定するのか
どちらにしても
生きるすべはなく
結局、中途半端な自己矛盾を抱え
生活(くらし)の中で
ささやかに幸せを求めて生きていく
それが人なんだと
今の僕は思う
僕が鶴を折ったところで
何も変わらないし
そもそも
折ってみたら
これがちょーへたくそで
こんな鶴じゃあ却下になりかねない…
折り紙なんか買ったことなかったので
みょーなカラーホイルとかにしたら
これがまた、ちょー折りにくいし
そもそも5㎝×5㎝なんて大きさなんてなかったので
自分できれば
正方形にならないし…
そこを問うのか
問われるのか
と
考えているうちに
めんどーになるし
やめちゃえって気になる
もー2度と彼女に合わない方法だってあるし…
それでも
僕は折ってみよーと思う
なぜか?
彼女の幸せ…
ささやかな彼女の幸せの方帽を
担いでる気がするから
彼女はきっと
僕がこの鶴を持っていくことで
誰かに何かを伝えられた気分になるに違いない
僕が
100%を理解しきれなくっても
ちょー穿って、怪しく思ってたとしても
鶴を折るという行為が
伝えられた証明と
思うだろうと思うから…
それを偽善と呼ぶ人もいる
そんな気もする
それも自己矛盾の一つで
僕が消化してしまえば
クリアしたことになる
そのあたりを寛容に達観できるほど
僕は大人何だと思う…
もー純真な子供じゃあない…
世の中はまるでそんなこと
気にしてない人らの多そーな中…
もし
あなたが少しでも
何かを思っておられるのであれば
コメントに名前を
もちろん本名である必要もなく
いれてもらえらば
その名前で
僕は
鶴を折りましょ
なんのため?
それは
街頭で立たれていた女性のため
です
被爆者の方々のためではありません
なぜなら
被爆者のために鶴を折る
という行為についての結論を
僕が出しきれていないので
なんで
5㎝×5㎝でなきゃいけないのか
どーして白と赤を基本としている
わりに
便宜上色紙を使用するのか
どーして鶴を渡すのにちゃりで行く必要があるのか…
ありとあらゆる疑問を
彼女は解いてはくれなかった
解けないんだと
僕が勝手に判断させていただきました
それでも
何かのためになると思う
そー信じる彼女のために
僕ができることはそれくらいだと思うから
で
それを知らない人らに押し付けるつもりは
もっちろん毛頭あるわけではなく
もし、いらっしゃれば
ということだけで
ここで書いておくのは
もちっろん
ブログなので
僕個人の記録でしかありません
もっちろん
誰かに読んでいただいて
何かが伝われば幸いですが
拙い僕の文字では言葉では
なかなか伝わらないと伝えにくいと
理解もしつつ…
現状、うまくまとめられない
自分の気持ちだけでも
まとまってるのかと聞かれると
あんがい
そーでもない…
愛と伝える
という彼女の言葉
区分けを取っ払って60億人を愛でつなぐ
彼女の言葉には矛盾ばかりで
そこをついたら
それは自身でも理解してるらしく
逆ギレちっくに反論してきたので
そこは流した
自己矛盾の中で人は生きている
そーいう先輩もいて
その自己矛盾を肯定するのか
否定するのか
どちらにしても
生きるすべはなく
結局、中途半端な自己矛盾を抱え
生活(くらし)の中で
ささやかに幸せを求めて生きていく
それが人なんだと
今の僕は思う
僕が鶴を折ったところで
何も変わらないし
そもそも
折ってみたら
これがちょーへたくそで
こんな鶴じゃあ却下になりかねない…
折り紙なんか買ったことなかったので
みょーなカラーホイルとかにしたら
これがまた、ちょー折りにくいし
そもそも5㎝×5㎝なんて大きさなんてなかったので
自分できれば
正方形にならないし…
そこを問うのか
問われるのか
と
考えているうちに
めんどーになるし
やめちゃえって気になる
もー2度と彼女に合わない方法だってあるし…
それでも
僕は折ってみよーと思う
なぜか?
彼女の幸せ…
ささやかな彼女の幸せの方帽を
担いでる気がするから
彼女はきっと
僕がこの鶴を持っていくことで
誰かに何かを伝えられた気分になるに違いない
僕が
100%を理解しきれなくっても
ちょー穿って、怪しく思ってたとしても
鶴を折るという行為が
伝えられた証明と
思うだろうと思うから…
それを偽善と呼ぶ人もいる
そんな気もする
それも自己矛盾の一つで
僕が消化してしまえば
クリアしたことになる
そのあたりを寛容に達観できるほど
僕は大人何だと思う…
もー純真な子供じゃあない…
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