2008年03月01日
さて、テニスな視点としてですが
まず、言えること
5-3、5-2では
きっちり取りに行かないとだめです
今日の鹿島がそうであったのかは別として
2-0となったとき
しかも立て続けの得点で、まだまだ取れそうなムード
おまけに、相手はJ2と一応は格下のチーム
少なくとも観客のうちの数名はこのまま終わるだろうと
思える状況と考えられます
それでも、謙虚に3点目を取る姿勢があったのかどーか
単なる傍観者の僕の語るところではありませんが
それぞれ反省しうる点といえると思います
慢心しない方法ってゆーのがあるのかどーかは
わからない
ひとつだけ、僕が知っているのは
謙虚であるということ
(今日の佐藤サンがそうだったと僕は思う)
その、謙虚であるというのも
案外難しいと理解しています
結局、落とし穴なので
気がつけば、ふと思えば
そういう気持ちが湧いていることに
気がつかないままもある
もっちろん、たいていの場合
そっちだし
自分で感じて、わかって、慢心できるよーな試合は
よっぽどでない限り、本当に負けない試合でしょう
そして、慢心している本人は
多くの場合、慢心していることに気がつかないから
足元をすくわれるのであると思います
そして
慢心にもいくつかの種類があるよーに思う
これで勝ったも同然
昔僕が、そんなこと破片も考えたことすらない
試合に出たてな頃
はじめてに近いシングルの試合で
試合巧者の相手に対して
無心で向かった結果5-3にまで
行ったことがありました
そこで、仲間に僕はそー言ったんです
もちろん、勝ったと思ったわけではありません
ここまでこれて、よかった
0-6でなくてよかった
そういう意味合いだったのですが
それが慢心だったと、今はわかります
次のゲーム30-30
つまり、勝利の2ポイント前からまくられ
落とした…とーぜんてば、当然の結果ですかね…
しばらくは、引きずっていた気がする
対戦相手に勝ったと思うことも
慢心ですが
ここまで、十分に自分は戦った
一生懸命やった
と、思った瞬間から慢心は始まるのだと
思われます
これ以上できない? 本当にそうなのか?
本当にどうだとするなら、それをどー持続するのか
を考える人が、そんなところで
それまでを十分とは
言わない、と思うのです
最後の球がコートについて
サッカーならホイッスルが鳴って
その後に、思うことなんだと思います
その前に、一生懸命やった自分に満足するということは
慢心のひとつであると言えると思います
それと
ペアなら、あの人なら仕方ない
ってゆーのも、慢心なのかもしれない
僕はときどき、ペアへの負担を考えて
実力、レベルで判断してしまう場合があり
そう思ったりもしますが
やっぱり、そこもだめだと思うんです
ほかにも、いくつかあるんだと思いますが
とにかく
慢心はいけません
これが今日の観戦の教訓のひとつです
ちなみに
最後に鹿島のサポがピッチに流れ込みましたが
これも、慢心だと思うわれます
僕らがこんなに応援してるのに
どーして君らは勝てないんだ?
なんて、思うから
暴れよーとするんじゃない???
結果についてあれこれ文句を言うのは
サポじゃないって思う
そんなことして、みんながめーわくしてるんだ
ってこと、認識できない人が
誰かの応援なんて、片腹痛いっす
どんだけ、えらいと思ってるのサ
選手は、僕らのために頑張ってくれたんだよ
結果はともかく、感謝できないなら
見に来てほしくない
逆の立場で
これも、自分に言い聞かせたいことではあります
別に、僕はプロなわけでもチームの花形でもないですが
ま、昔はときどき仕方なく
一人で行って、一人で負けて帰ってきたけど
それだって、
たとえば、一緒のグループだったり
奇特な人だったりが、応援してくれてたりする
見てくれてたりするんです
チーム戦ならなおさら
プロじゃなくっても
単なるヘボテニスプレイヤーだとしても
応援してくれる人がいれば
その人のために、頑張る理由はあるはずです
そこもわきまえず、自分の感情でゲームを捨てるよーなこと
(は、万が一にもしてないけど
感情に任せるよーなことは、コントロールできないことは
ときどき)
最後まで頑張れないよーなことがあっては
いけないと
わかってはいるんですが
実行までは、まだまだかかるかもしれません
ごめん
5-3、5-2では
きっちり取りに行かないとだめです
今日の鹿島がそうであったのかは別として
2-0となったとき
しかも立て続けの得点で、まだまだ取れそうなムード
おまけに、相手はJ2と一応は格下のチーム
少なくとも観客のうちの数名はこのまま終わるだろうと
思える状況と考えられます
それでも、謙虚に3点目を取る姿勢があったのかどーか
単なる傍観者の僕の語るところではありませんが
それぞれ反省しうる点といえると思います
慢心しない方法ってゆーのがあるのかどーかは
わからない
ひとつだけ、僕が知っているのは
謙虚であるということ
(今日の佐藤サンがそうだったと僕は思う)
その、謙虚であるというのも
案外難しいと理解しています
結局、落とし穴なので
気がつけば、ふと思えば
そういう気持ちが湧いていることに
気がつかないままもある
もっちろん、たいていの場合
そっちだし
自分で感じて、わかって、慢心できるよーな試合は
よっぽどでない限り、本当に負けない試合でしょう
そして、慢心している本人は
多くの場合、慢心していることに気がつかないから
足元をすくわれるのであると思います
そして
慢心にもいくつかの種類があるよーに思う
これで勝ったも同然
昔僕が、そんなこと破片も考えたことすらない
試合に出たてな頃
はじめてに近いシングルの試合で
試合巧者の相手に対して
無心で向かった結果5-3にまで
行ったことがありました
そこで、仲間に僕はそー言ったんです
もちろん、勝ったと思ったわけではありません
ここまでこれて、よかった
0-6でなくてよかった
そういう意味合いだったのですが
それが慢心だったと、今はわかります
次のゲーム30-30
つまり、勝利の2ポイント前からまくられ
落とした…とーぜんてば、当然の結果ですかね…
しばらくは、引きずっていた気がする
対戦相手に勝ったと思うことも
慢心ですが
ここまで、十分に自分は戦った
一生懸命やった
と、思った瞬間から慢心は始まるのだと
思われます
これ以上できない? 本当にそうなのか?
本当にどうだとするなら、それをどー持続するのか
を考える人が、そんなところで
それまでを十分とは
言わない、と思うのです
最後の球がコートについて
サッカーならホイッスルが鳴って
その後に、思うことなんだと思います
その前に、一生懸命やった自分に満足するということは
慢心のひとつであると言えると思います
それと
ペアなら、あの人なら仕方ない
ってゆーのも、慢心なのかもしれない
僕はときどき、ペアへの負担を考えて
実力、レベルで判断してしまう場合があり
そう思ったりもしますが
やっぱり、そこもだめだと思うんです
ほかにも、いくつかあるんだと思いますが
とにかく
慢心はいけません
これが今日の観戦の教訓のひとつです
ちなみに
最後に鹿島のサポがピッチに流れ込みましたが
これも、慢心だと思うわれます
僕らがこんなに応援してるのに
どーして君らは勝てないんだ?
なんて、思うから
暴れよーとするんじゃない???
結果についてあれこれ文句を言うのは
サポじゃないって思う
そんなことして、みんながめーわくしてるんだ
ってこと、認識できない人が
誰かの応援なんて、片腹痛いっす
どんだけ、えらいと思ってるのサ
選手は、僕らのために頑張ってくれたんだよ
結果はともかく、感謝できないなら
見に来てほしくない
逆の立場で
これも、自分に言い聞かせたいことではあります
別に、僕はプロなわけでもチームの花形でもないですが
ま、昔はときどき仕方なく
一人で行って、一人で負けて帰ってきたけど
それだって、
たとえば、一緒のグループだったり
奇特な人だったりが、応援してくれてたりする
見てくれてたりするんです
チーム戦ならなおさら
プロじゃなくっても
単なるヘボテニスプレイヤーだとしても
応援してくれる人がいれば
その人のために、頑張る理由はあるはずです
そこもわきまえず、自分の感情でゲームを捨てるよーなこと
(は、万が一にもしてないけど
感情に任せるよーなことは、コントロールできないことは
ときどき)
最後まで頑張れないよーなことがあっては
いけないと
わかってはいるんですが
実行までは、まだまだかかるかもしれません
ごめん
ゼロックスカップすごかったですね!
ビデオで昨日の深夜見ましたが0-2で「寝よう」と思いました
天皇杯と同じ結果だと思ったし,鹿島の方がどう見ても強い
しかし・・・
こ~ふんしましたね!
結果ももちろんですが,PKになってから「一番いいとこでビデオ終わってたらどーしよ・・」とひやひやしながら
子供たちあこがれのサンフレです
駒野が抜けたのは痛いけど,彼の想いも理解できるし
佐藤が代表外れてしまったのもかわいそうだけど
ユースからトップに上がってきた若い選手と一緒にがんばって欲しいです
お子さんたちのよーなサポーターがしっかり見ててくれれば
選手たちも頑張ってくれるはずです
基本、力のあるチームだと思いますし
何せ、佐藤はいい人だし(^^ゞ